2002-01-21 第154回国会 参議院 本会議 第1号
あのトレードマークとなっていたウエリントン型のやや大きめの黒縁眼鏡の奧の細い目、ついだれもが話し掛けたくなるような優しい笑顔、そして不屈の越後人魂、忽然として旅立たれた真島一男君、春秋六十九年、君の人生は短く無念でありましょうが、また、実り多き生涯でもありました。
あのトレードマークとなっていたウエリントン型のやや大きめの黒縁眼鏡の奧の細い目、ついだれもが話し掛けたくなるような優しい笑顔、そして不屈の越後人魂、忽然として旅立たれた真島一男君、春秋六十九年、君の人生は短く無念でありましょうが、また、実り多き生涯でもありました。
それから民間の方の駐在員でございますが、五十二年でワシントン、アンカレジ、 ハリファックス、バンクーバー各一人、それから五十三年度にナホトカ、ウエリントンということを予定をしております。そういうことで、逐次その体制を整備するということでございます。
、ただいま問題になっておりますニュージーランド周辺の油でございますが、これがちょうど百五十九隻のイカつり船を、私のほうで、この秋口に承認したあとでニュージーランドで石油問題が出ましたので、これがすでに四、五十隻、ただいまニュージーランド方面へ出港いたしておりますが、この油につきましても、全漁連を中心といたしまして、約一万五千キロリットルの油を手当ていたしまして、そして、ニュージーランドの港に、ウエリントン
救援活動がとりあえず不調に終わったため――とりあえずというのは、多少氷塊がゆるみましたならば、時間の許す限り、つまり引き返す時間の余裕があるならばまた来るという意味においてオビ号が引き返しておるわけでございまして、そのつもりでお聞きをいただきたいと思いますが、三月八日緊急本部連絡会を開催し、米国砕氷艦の「ふじ」救援を米国政府に依頼したのでございますが、米国砕氷艦エディスト号は、緊急部品を携行してウエリントン
わが国は、ニュー・ジーランドが一九六六年一月から、メキシコが一九六七年二月から、それぞれ国内法により、沿岸から十二海里までの漁業水域を設定したことに対して、沿岸国の一方的な措置による漁業水域の設定は国際法上認められないとの立場から異議を唱え、この問題につき、ニュー・ジーランド及びメキシコとの間に交渉を行ないました結果、合意が成立したので、ニュー・ジーランドとの間には昨年七月十二日ウエリントンで、また
よって、昭和四十二年七月十二日にウエリントンにおいて、わがほう竹内大使とニュージーランド側ホリオーク首相兼外相との間で、この協定に署名を行なった次第であります。
わが国とニュージーランドとの間で昭和三十八年一月三十日に署名された所得に対する租税に関する二重課税の回避及び脱税の防止のための条約は、昭和三十八年一月三十日に署名され、同年四月十九日に発効いたしておりますが、政府は、これを改正する議定書の締結につき昭和四十一年六月以来ニュージーランド政府との間で交渉を行ないました結果、最終的合意に達し、昭和四十二年三月二十二日にウエリントンにおいて野見山臨時代理大使
わが国とニュー・ジーランドとの間で昭和三十八年一月三十日に署名された所得に対する租税に関する二重課税の回避及び脱税の防止のための条約は、昭和三十八年一月三十日に署名され、同年四月十九日に発効いたしておりますが、政府は、これを改正する議定書の締結につき昭和四十一年六月以来ニュー・ジーランド政府との間で交渉を行ないました結果最終的合意に達し、昭和四十二年三月二十二日にウエリントンにおいて野見山臨時代理大使
すなわち昨年の三月にウエリントンにおけるエカフェの総会で、これは私の見ましたものでは三月十八日でありますが、アメリカ代表がアジア銀行に対してはアメリカは出資をしないという態度を表明しておる。これは明言しております。それですぐ追いかけるようにジョンソン構想が発表されたわけだ。
それは、ジョンソン構想が発表されて日本が積極的になって出資をきめたというふうに断定されたようでございますが、さっきお引きになりましたウエリントン会議では、アジア開銀を設立することにつきまして数カ国の共同提案で一つの決議ができたわけでございます。その際には日本は共同提案国になって、設立側に回っておったのでございます。その際はアメリカは、先生もおっしゃいましたように、必ずしも協力的でなかった。
○穂積委員 ウエリントン会議の報告の私の見たものでは、アジ銀を設立することに反対はしない。そういうことを私は言っていませんよ、アジ銀に反対したなんということは言っていない。アジ銀に参加し、しかも出資をするかしないかについて、出資をするとは言っていない。出資をしないということを明言しておるわけです。どうですか。
その後、六五年の三月にウエリントンで第二十一回のエカフェ総会がございまして、朝海外務省顧問が首席代表として出まして、その決議によりまして、九カの政府任命の専門家諮問委員会を設置して、アジア開銀の設立の推進に当たる旨の決議を採択されたわけでございます。この決議に従いまして、同年の六月から八月にバンコクにおきまして、専門家諮問委員会というのが九カ国から任命されました。
○小林委員 一九六五年の三月ウエリントンにおいて第二十一回エカフェの総会が行なわれて、政府任命の専門家委員会というものがそこで初めて設置をせられた。その専門家委員会の委員に任命をせられた各国の専門委員の国籍、氏名、並びにわが日本の専門委員の氏名をお伺いしたい。
アジア開銀が一九六〇年春の十六回のエカフェの総会で打ち出されましてから、一九六一年に三人委員会ができて、その次に七人委員会がつくられて検討をされて、さらに、一九六四年の十月に十人委員会がバンコクで開かれて、アジア開銀の具体的構想がほぼまとまってきましたけれども、その後一向に進まないで、一九六五年の三月にニュージーランドのウエリントンで開かれたエカフェの会合でもきまらなかったわけです。
そこで、いま御説明が国連局長からありましたけれども、ただ、私どもがたいへんにふしぎに思いますのは、御承知のように、一九六五年の三月にニュージーランドのウエリントンでエカフェの会合が開かれたわけです。そこではアジア開銀はきまっておらなかったわけですね。ところが、それから間もなく四月七日のボルチモアでのジョンソン大統領の演説があって、それからすぐ次にはアジア開銀の構想がぱっと出てきたわけです。
それで六五年に入りまして三月に開催されましたウエリントンにおけるエカフェ総会において、このアジア開発銀行の設立を促進するという決議が出たというような状況でございます。
まず前提といたしまして、エカフェの二十一回総会が本年三月十六日からニュージーランドのウエリントンで開かれました。ここにおいてわが国はどのような提案をいたしましたか、また、どのような決議がなされたか、この点科学技術庁から御回答を願います。
それからニュー・ジーランドとの条約は、三十八年一月三十日にウエリントンにおいて署名を了したものでございます。これらの条約はいずれも、現在国会においてその批准についての御審議を受けているわけでございます。
本条約締結の交渉は、昨年七月以来行なわれ、両政府間で折衝を重ねた結果最終的合意に達し、本年一月三十日ウエリントンにおいてわがほう在ニュー・ジーランド原大使とニュー・ジーランド側ホリオーク総理大臣兼外務大臣との間でこの条約に署名を行なったものであります。
政府は、従来から関係の深い諸国との間に所得に対する二重課税防止のための条約の締結について努力して参りましたが、このたび連合王国、オーストリア、ニュー・ジーランドの三カ国との間に交渉が妥結し、連合王国とは昨年九月四日東京において、オーストリアとは一昨年十二月二十日ウィーンにおいて、また、ニュー・ジーランドとは本年一月三十日ウエリントンにおいて、それぞれ条約に署名を行なったのであります。
本条約締結の交渉は、昨年七月以来行なわれ、両政府間で折衝を重ねた結果最終的合意に達し、本年一月三十日ウエリントンにおいてわが方在ニュー・ジーランド原大使とニュー・ジーランド側ホリオーク総理大臣兼外務大臣との間でこの条約に署名を行なったものであります。
わが政府は、これに応じ、同年七月からウエリントンにおいて交渉を行ないました結果、ようやく現在の通商に関する日本国とニュー・ジーランドとの間の協定の妥結を見た次第であります。
におけるこのような対日差別待遇を一日もすみやかに撤回せしめるため、従来から機会あるごとにニュー・ジーランド政府との間に公式、非公式に折衝を続けてきた次第でありますが、本年五月ごろ東京におきまして在本邦ニュー・ジーランド大使館との間に通商協定締結方に関し、予備的な折衝を行なった結果、ニュー・ジーランド側においても通商協定交渉の開始につき、原則的に異議ないことが確認されたため、本年七月下旬代表団をウエリントン
ニュージーランドにおけるこのような差別待遇を一日もすみやかに撤回せしめるため、従来から機会あるごとにニュージーランド政府との間に公式、非公式に折衝を続けてきた次第でありますが、本年五月ごろ東京におきまして、在本邦ニュージーランド大使館との間に通商協定締結方に関し予備的な折衝を行なった結果、ニュージーランド側においても通商協定交渉の開始につき原則的に異議ないことが確認されたため、本年七月下旬代表団をウエリントン